写真がとどめた、あの日の風景

『写真の記憶』では、初代が撮影した記録写真を中心に、
撮影者の想いと、その時代に流れていた空気をたどっていきます。

そこに写っているのは、
その時代の人々が日々目にしていた風景であり、
かつてこの地に確かにあった、気仙地方の営みです。

年月とともに人々の記憶から遠のき、
やがて歴史の中に埋もれていく風景を、
写真を通して、現代の視点で読み解いていきます。

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  • 盛川下流域定点パノラマ
    ― つなぎ直される川口橋 ―
     水田の埋立が進み、目まぐるしく変化していた盛川下流域。南米チリで発生した地震による津波が襲来したのは、昭和35年5月24日早朝のことでした。  金野菊三郎 編『チリ地震津波大船渡災害誌』には、パノラマに写る大船渡町地の…
  • 盛川下流域定点パノラマ
    ―普金山から見続けた郷里―
    昭和20年代後期頃の盛川下流域。両岸に水田地帯が広がっています(画像をクリックすると拡大表示)。  冒頭の写真は赤崎町の普金山から撮影されたもので、4枚のガラス乾板からパノラマ合成したものです。初代・多喜治は、この定点撮…
  • 第一虎丸
    昭和2年頃 大船渡港 茶屋前埋立地 ガラス乾板 12×16.5cm 一隻の帆船  『昭和初めの大船渡港』『トラ丸荷役』と記された、当館所蔵の二枚のガラス乾板。これらの写真には、岸壁に係留された一隻の帆船と、荷役の様子が写…
  • 三陸汽船 眞隆丸
    昭和2年頃 大船渡港 碇泊場 ガラス乾板 12×16.5cm  昭和2年頃の大船渡港。現在の「みなと公園」から望む沖合に、一隻の船が碇泊しています。船体に記された名は『眞隆丸』。煙突には三陸汽船のファンネルマーク、接舷さ…
  • 橋本写真館
    ― 写真に見る師弟関係 ―
     佐藤写真館初代・多喜治が修行した橋本写真館。多喜治が持ち帰った写真は大正13年から昭和5年頃にかけて撮影されたもので、その一枚一枚に氏名や年齢、関係性、撮影時期といった「裏書き」が記されています。ここでは、その中からい…
  • 橋本写真館
    ― 佐藤写真館の源流として ―
     橋本写真館は当館初代・佐藤多喜治が入門し写真師としての修行を行った東京の写真館です。創業者の橋本良知は中島待乳 ※1 に写真を学んだ写真師で、橋本写真館には複数名の門生が集い、多喜治もその一人として修業を重ねました。 …
  • ケヤキの下を抜けて
    大船渡市盛町権現堂 昭和35年頃 ガラス乾板12×16.5cm 「これ、どこの風景ですか?」この写真をご覧になった方々は、皆一様に同じ感想を述べられます。 「あっそうか!」 と、これも一様に驚かれるのは、長い枝を伸ばした…
  • 砂利取り舟
    盛川 川口橋付近 昭和15年頃 フィルム6×4.5cm  「舟人」「砂利取り舟」と記された、これらの写真は三枚撮影されており、祖父が強い関心を持って記録していたことが窺えます。木造の「かっこ舟」には男性が一人、中央部に砂…
  • シロウオ漁
    盛川 川口橋上流 昭和15年頃 フィルム6×4.5cm  盛川は初代が幼い頃から慣れ親しんだ川で乾板、フィルム問わず比較的多くの写真が遺されています。この写真はその中でも数少ない、戦前の撮影と思われるもので、シロウオ漁の…
  • 丸森の夫婦松
    大船渡市大船渡町丸森  昭和9年頃 ガラス乾板12×16.5cm  旅の道標や休憩場所として親しまれていたこの松は「塚松」とも呼ばれ、一里塚の傍らに二本寄り添うように立ち、その間を旧道(浜街道)が通っていました。圧巻なの…