
昭和20年代後期頃の盛川下流域。両岸に水田地帯が広がっています(画像をクリックすると拡大表示)。
冒頭の写真は赤崎町の普金山から撮影されたもので、4枚のガラス乾板からパノラマ合成したものです。初代・多喜治は、この定点撮影を昭和20年代後期から40年頃にかけて計14回、乾板とフィルムを併用して行っています。同行していた2代目・尚武によれば、多喜治は山の中腹にある大きな木に登り、見晴らしの良いポイントから撮影していたそうです。
ここでは、昭和20年代後期の撮影と思われる写真を、後年との比較を交えてご紹介します。
川口橋付近(パノラマ合成)

「大船渡市 五十年の歩み」によれば、大船渡町欠の下向にあった水田や原野は昭和29年7月、工場誘致に伴う用地買収交渉が成立しています。この写真では水田利用がまだ継続しているように見えることから、昭和20年代後期頃の撮影と推定しています。


大船渡町中港・砂森付近




大船渡町砂森・地の森付近



佐野橋付近


盛川には護岸が整備され、川筋に変化が見られます。

南米チリで発生した地震による津波が日本列島を襲ったのは、昭和35年5月24日早朝。大船渡では、丸森権現堂線・地の森ルートが開通して間もない頃でした。
戦後復興期、変わりゆく郷里を普金山から見続けていた多喜治は、この自然災害がもたらした、それまでとは全く異なる変化と対峙することになります。
参考文献:
- 大船渡市市制施行五十周年記念誌編集委員会 編 『大船渡市五十年の歩み : 幸福を実感できる市をめざして』 大船渡市、2005年。