ケヤキの下を抜けて

大船渡市盛町権現堂

昭和35年頃 ガラス乾板12×16.5cm

「これ、どこの風景ですか?」
この写真をご覧になった方々は、皆一様に同じ感想を述べられます。

「あっそうか!」

と、これも一様に驚かれるのは、長い枝を伸ばしたケヤキの存在に気付いた時です。

この写真は盛バイパス開通以前の昭和30年代、権現堂交差点を走るバスを撮影したものです。交通の要所である権現堂は自転車をこいで撮影地に向かう祖父自身も頻繁に通る、思い入れの深い場所だったのだと思います。

丸みを帯びたフォルムに丸目ライトのバスは小柄で、どこか愛嬌のある印象すら受けます。しかし当時の人々にとっては先進的な交通機関であり、未舗装の道を埃を舞い上げて走り抜ける姿は祖父の目にも新しい時代の象徴のように映ったのかもしれません。

そして、フィルムが主流となりつつあった時代に敢えてガラス乾板を使って撮影していること。この景色を後世に伝えようという想いは大判特有の、深度の浅い柔らかな描写とともに写真を一層幻想的なものにしています。

「この写真の世界に行ってみたい」

これからご覧になる方も、きっとそのように感じて頂けると思います。

昭和35年頃の権現堂交差点。バスは権現堂橋を渡り、現在の県道230号丸森権現堂線を走行しています。
写真① 行き先表示に掲示された「市内」の文字。
写真② 路肩はコンクリートで区切られています。奥には権現堂橋(旧)の欄干が見えます。
写真③ 英語表記の標識。
国道45号が開通し大きく様変わりした権現堂交差点。ガラス乾板には「槻 ※1 だけ残った」と記されています(2025年8月撮影)。
鈴木文彦 著『岩手のバス いまむかし』には東部バス ※2 や岩手県南バスの車両が紹介されていますが、写真のバスは、そのどちらのカラーリングとも異なるように見えます。一方、外観が東部バスで使われていたキャブオーバー型 ※3 の車両に似ていることや市内線として運行されていることから、岩手県南自動車の傘下に入った後、カラーリングが統一される前の”過渡期”の姿ではないかと、私は想像しています。

皆さんはこの交差点にどんな思い出がありますか?
東部バス、岩手県南バスの車両についてもご存じの方がいらっしゃれば、ぜひ教えてください。

参考文献

  • 鈴木文彦『岩手のバス いまむかし』 株式会社クラッセ 2004年
注釈
  1. ケヤキを表す古い言葉[]
  2. 東部バスは釜石に本社を置いていたバス会社で、1957年(昭和32年)に岩手県南自動車(のちの岩手県南バス)の経営傘下に入りました。その後、岩手県南バスは花巻バス・岩手中央バスと統合され、1976年に現在の「岩手県交通」が発足しました。[]
  3. キャブオーバー型(Cab Over Engine): 運転席の下にエンジンを配置した構造。トラックや商用バンに多い。[]

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