大船渡市盛町
昭和25年頃 フィルム 6×4.5cm

昭和の子供たちにとって、紙芝居は特別なひとときでした。
この写真は駄菓子を売る街頭紙芝居の様子を撮影したものです。テレビが一般家庭に普及するまで、娯楽としての紙芝居は子供たちに根強い人気があったようです。
この写真の特徴は、紙芝居師の背後から撮影している点です。右手で太鼓を叩きながら左手で画を差し替えるといった、紙芝居師が演じる独特の所作は、写真を生業とする祖父の目にも新鮮に映った事が伺えます。
厳しい時代を生き抜く紙芝居師の背中に祖父や父親の姿が重なり、
私にとっても、特に心に残る一枚です。


紙芝居の脚本について
紙芝居の原型は昭和初期に考案された『平絵紙芝居』と呼ばれるもので、代表作『魔法の御殿』は昭和5年に実演されました。絵は手描きによる一点もので、当初は文字による台本というものがなく、『タクヅケ』と呼ばれる口伝によって芝居のあらすじが伝授されていました。加太こうじ著『紙芝居昭和史』には、地方業者にはタクヅケを伝えきれず、絵を見て自由に語らせる慣習があったと記されています。
やがて街頭紙芝居が普及していく中で過激な絵柄・卑猥な内容の業者が横行しました。これが社会問題となったことから、昭和13年には警視庁による紙芝居検閲制度が実施されました。脚本を絵に添えなければ検閲が受けられないため、演者は脚本に忠実な語りを求められるようになりました。一方、街頭紙芝居から分化した『印刷紙芝居』には裏面に詳細な脚本が書かれており、中でも『教育紙芝居』が戦時下での国策教育・国民統制の一環として台頭し脚本とともに普及したことなどから、脚本に忠実に演じる紙芝居のスタイルが定着したと言われています。
写真①②では演者が右手で楽器を鳴らしながら、引き出しの上に重ねられた脚本と思われる紙を左手で手に取る様子が確認でき、街頭紙芝居が辿ってきた歴史の一端を垣間見ることができます。
※この写真をFacebookで発信した際、撮影年を「昭和30年頃」としていましたが、子供の服装や髪型を他の写真と比較した結果、終戦直後~昭和20年代中頃の可能性が高いと判断し「昭和25年頃」と訂正しました。
参考文献
- 石山幸弘『紙芝居文化史 資料で読み解く紙芝居の歴史』萌文書林 2008年
- 加太こうじ『紙芝居昭和史』岩波書店 2004年